身の上バナシ

デジタルディバイド

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きのうは図らずも「今どきの若いやつら」の話をしてしまった。で、今度はオジサマたちの話。といっても僕らよりだいぶ上の世代。オジサマには、「パソコンや携帯電話になじめない・・」というお悩みがあるそうな。

「俺は手書きがいいんじゃ!」
それは本人の好みに過ぎない。「手書き」というツールを選ぶという視点とは全く違う議論。で、次にでるのはこんなセリフ。
「最近の若い人たちと違って、こう・・・『ワープロ』でタイプするっちゅうのが苦手だ」
とな。

もしもし!? 「パソコン」です。 「ワープロ」ではなくて・・・。さらに言うと、タイプライター・・・
つまりタイピングという実務は戦前からあったんですけどねぇ。本当は・・・。太平洋戦争前のハルノートや宣戦布告の舞台裏、『ローマの休日』のグレゴリー・ペックの手にも、タイプライターがあったんだけどなぁ。

オジサマたちは「若いやつらのようにパソコンは扱えん!」と頻繁に言う。ところが、僕が社会人になったのは1994年。WINDOWS 95すら出ていない時代。OSとインターネットの意味を知るのに3年かかった。98年に初めてパソコンを購入。時代の波に揉まれながら必死に覚えたのは僕らも同じ。つまりスタートラインはオジサマたちと一緒。じゃあオジサマの苦手意識は、仕事への自覚の問題か?それとも単に新しいツール・メディアを覚えるという動作が生理的に合わないのか?

 

さらにオジサマたちは「若いやつらはITに強い」と言う。ところが、これも僕に言わせれば、かなり誤解がある。

若い人たちが「ITのある生活に慣れている」のは間違いない。だけど「『強い』ということ」は、 「理論やシステムを把握している」ということなのね。つまり能動的にITを駆使し、ソフトやシステムを作ったり議論したりできる人を初めて「強い」と言える。パケット通信の意味を知らない。携帯電話の電波周波数を知らない。ハードディスクやメモリの意味がわからない。 ・・・そんな若者は世の中いっぱいいる。大学生に接すると、こういうマルチメディアの知識を持たずに、ヘラヘラ携帯電話を扱って、高額な通信料を取られてなんとも思っていないのに驚くばかり。別に知りたいとも思ってないのかもしれない。ほとんど思考停止状態。

ゆえにシニア層とITとの乖離を表すのによく使われる、「デジタルディバイド」という言葉はあるものの
実際に「どの世代がITに強く、どの世代が弱いか?」を考えると・・・「大学生も、50代のオジサマたちも同じレベル」だと思うわけ。

まぁ それにしても、何でオジサマたちは「文書を作る」ことを「ワープロ打っちゃらんね?」と言うのだろう?ワードもエクセルもパワーポイントも、へったくれも何もない。 全部ワープロ。そういえば先日、元オジサマだけの部屋を片付けたとき、「ホンマもんの『ワープロ』」を発掘した。 書院だかRUPOだか、もう忘れたが・・・。

「いると?これ」「いらんやろ!捨ててしまえ!」   ・・・捨てた
引き出しを見ると、山のような「フロッピー」が・・・。 「なんじゃこりゃ?」  ・・・同じく捨てた

そういえばデータを保存するときに、「フロッピーに保存を」とオジサマたちは言う。実際のところ、僕はフロッピーを持たない。この2~3年手にしたことすらない。個人所有のパソコンはデスクトップとノートが1台ずつあるが、いずれもフロッピーを読み込むこと自体ができない。そもそも、そんなインターフェイスを忘れかけてた。
ある種、懐かしさを覚える「ワープロ」と「フロッピー」・・・。オジサマたちにとっては数少ないデジタル用語のようですな。みなさま、オジサマたちに愛の手を・・・。「ワープロ」と「フロッピー」にも愛の手を・・・。合いの手ではありません、チョイナチョイナっと!

ちなみに僕のそばにいるオジサマ宛にオジサマの息子から手紙が届いた。携帯の通信料を払って欲しい・・・。と。額はなんと40,000円代。手紙には「iモードを、誤って繋ぎっぱなしにしたので金額が跳ね上がった・・・」と書いてあった。この文面を本気にしたオジサマ。ずいぶん稚拙なウソをつくもんだ。若者もオジサマもITへの知的レベルが同じという意味、こういうところから垣間見えたりするのね。

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