身の上バナシ

蔵六さんの話

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つい先日のことですが、とある会社にて「大村益次郎」という人を例えに使った
文章が出てたので、それを目にしました。

頭がでかい人だったそうですよ。
司馬遼太郎が「花神」という小説で描いた、幕末に生きた歴史上の実在の人物です。
簡単に言えば、この人が、明治以降の陸軍の体制を作った魁なのです。
で、まぁその文書には「花神」のような歴史上、改革を断行する様なキーパーソンが
経営においても必要だぁ!みたいに書いていたようです。
要は、現経営者の礼賛文書みたいなものですが。。。。
ただし、的外れな感は否めませんが。。。。
別に彼は好戦的な人間でもなければ、野心家でもなかった。
しかももっと言えば、為政者でも何でもない、下級の位の人間の一人にすぎなかったのです。
長州征伐の刃が幕府から一気に向けられそうなときに、毛利家が若手の動きを
容認し、重要な任務を任せるだけの器量があったからこそ、長州藩は幕府に勝ったわけです。
しかもその歴史の流れを作ったのは、高杉晋作のカリスマ性と行動力であり、
大村益次郎(当時は村田蔵六)の戦略・戦術であり、坂本龍馬の機転と行動力であり、
薩摩藩とイギリスの洞察力であるわけです。ひとりの力じゃない。
ましてや、長州藩だけの力だけでもないのです。信用や駆け引き、そして偶然と運があったのです。
作られた歴史とは、たった一人の人間が作るものではなく、様々なコンピテンシーを持つ人が
自然に集まり、力を出し合って作り上げ、そこに運を加えて成果を出したものですよね。
歴史上の人物の一人の力を取り上げ、その人がすごーい! 今もそんな人が必要なんだー!
で、ウチの「しゃっちょうさん」こそ、わが社の歴史上のキーパーソンなんだー!とか言っているのは
はっきりいって見識を疑ってしまう。大丈夫か?
いろんな人間の性格や能力を見極めて、現場に仕事を振って任せる器量。。。
現場の人間の能力を引き出す眼と行動力。そういう力こそ、今の経営者に求められていないか?
じゃないと、村田蔵六(大村益次郎)のような、戦略眼を持つ人間が、世に埋もれてしまう。
先代がどれだけすばらしい歴史を築いても、読み取る側の子孫が読み間違えたら、
歴史は単なる都合のいいドラマで終わってしまうなぁ。やれやれ。

ちなみに。
幕末の歴史オタクの僕としては、何かにつけて悩んだり行き詰ると
このころの各人の実績や心持ちなどを読み直します。
特に辞世の句には、そういった彼らひとり一人の思いや無念さ、
後世へのメッセージなどを読み取ることができます。
外圧から日本を守った彼らの行動や論理を、正しく学んで今の生活や
仕事に生かさないと、それこそ斬られてしまいますぞよ。
例えば・・・
吉村虎太郎 辞世の句
「吉野山 風に乱るる もみぢ葉は 我が打つ太刀の 血けむりと見よ」
吉田松陰 辞世の句
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
みんな20代で死んでいます。今の僕らに想像できない人生の深さですよね。

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