僕のビジネス論

仕事における「信用」の価値

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信用をなくすと、人は活動が停滞します。経済的な活動や、社会的な活動など。一気に人間としての活動を停止させられるわけで、その「信用」の回復を図ることは一筋縄ではいきません。

たとえば、放送局でCMが流れなかったなどという放送事故が発生した場合、「3倍返し」という言葉を使います。まぁ契約していた方に対し、3倍の量をお返しすることで謝罪の意を表すようなものです。実はこの「3」という言葉は、人間にとって、わかりやすく そして深い意味があるようですね。それは例えば信頼を失った期間が1年だったとすると、回復するのに3年かかるとか。1人のせいで信頼を失った場合、3人の手間をもって回復にあたる。。。などなど。人の生理的な相場に、すべて「3」という数字が見え隠れしているようです。

どのような状況であれ、「3倍」かかるという認識を僕は常日頃から持っています。一方で、カネで信頼を失ったものをカネで解決するという方法もありますが、結局のところドライに割り切った解決策なので、そこで人間関係は終わりでしょう。例えば、お店にツケをためてて、無愛想に一気に返済するような感じ。結局のところ、本当の意味で「人間関係」の信用を回復したり得たりするためには、こまめにその人へ誠意を示す以外方法がない、とかつて習いました。

確かにそのとおりだなぁと、最近常々感じます。自分自身が信用してもらうために動くことは、本当に難しいことです。一歩間違うと、信用を得ようと取る行動自体を疑って見られて、余計に信用を落としたり。とにかく自分自身を相手に、正確にわかってもらうことの重大さと難しさというものを感じてしまいます。「信用を得たい!」と露骨に思うこと、行動に出ることは、何か独善的に見えて
一方でものすごく相手に媚を売っている人間に映るようにも思われ、ものすごく抵抗があります。逆に「どうでもいい」とは、とても思えないですし。。。結局のところは、自分の持つ誠意という「気持ち」と「自己表現能力」という手段にかかっているのでしょう。
自分の、人間としての力不足を感じてならない、今日この頃です。

以前に比べ、携帯やメールなど、自己表現の手段が急速に増え、そして早く伝わるというアジリティ(俊敏性)が備わっているので、表現の失敗をした際のリスクが、増えたなぁというのが、僕の実感です。つい、言ってしまった一言。つい、送った何気ない一言。それがそのまま伝わり、受け取った相手の状況や思いで自分の思惑通りに物事が伝わらなくなることが、多々あります。便利になった分、軽く使っているとしっぺ返しが来るツールが、インターネットツールなのかもしれません。まぁ僕の場合、それ以前の問題として、そもそもよくない態度を取ったこともいっぱいあります。そのたびに自身を半人前と思う。。気持ちに油断があるんだと思います。。まだまだ。。

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