広田弘毅

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最近は、故あって歴史の話に関わることが多くなった。
というもの。やはり過去に業績を残した方の足跡には
学ぶべき点が多々あり、それが未来の僕らが判断に迷う際に
判断基準となりうるからだろう。

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さて、今回は偶然「広田弘毅」先生のお話となった。とある方との会話だ。
その中ででた面白い話。

「水鏡天満宮の入り口にある鳥居の
 『天満宮』の字は幼少の広田弘毅が書いたものだ」

先日、その話を聞きつけ、きょう偶然お宮の前を通ったものだから
つい写真を撮ってしまった。

広田先生は、福岡県が輩出したたった一人の総理大臣。
2・26事件の後に総理大臣に任命され、采配を振るったのだが
戦後の東京裁判で、連合軍から死刑判決を受け、絞首刑となった。。

閣僚時に「南京大虐殺があった」とされ、その責任を追及されたわけです。
外務官僚時代において対外的な責任者ではあったものの、
当時の陸軍が暴走状態にあったことは、火を見るより明らかだった。
にも関わらずA級戦犯に加えられ、そのまま責任をおっかぶされて
処刑…。

まぁこういう史実を日本人も中国人も韓国人も知らんわけで。
過去に悲劇があり、その悲劇を裁くために、また悲劇があったにも
関わらず、人間は忘れる動物なもんだから、悲劇を忘れて、
その前の悲劇をより悲劇っぽく脚色して、新たな悲劇を作ろうとする。。

多少なりと地元びいきはあるとは思いますけどね。

で。
話は水鏡天満宮に戻りますが、もともとご実家が今の天神3丁目あたりで
石屋さんをしていたもんだから、幼少期の広田先生も、売り物を
荷車で積んだり運んだりしていたそうですよ。

で、その流れで「たまたま」書かれたそうですよ。
かつての首相が幼少期の頃、石に揮毫した字がそのまま今も
残っているとは…。

しかもそれが町の中心地・繁華街の名前の由来でもある
天神様を祀る神社だとは…。

郷土史を知ること。それは自分が参照にすべき教科書が
実はすぐ足元に埋まっていて、それに「気づく」ことの第一歩かもね。

最近、このような博多の郷土史に詳しい方と話す機会が増えたので
自分自身の知識も増え、まことにありがたい限りでございます。


ちなみに。

広田弘毅先生の出身校は、言わずと知れた
修猷館でございます。

先輩なんですよ。

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