僕のビジネス論

風は止められない

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「風は止められない」 誰が言ったか、忘れてしまったが、第二次世界大戦期に複数の為政者がこのような言葉を発したという記録がある。

「風は止められない」 この「風」とは何か?

 

「風」には「勢い」があり、「向き」がある。「風」とは「科学技術(technology)」を意味している。21世紀に入り、また一つ大きな「風」が風速を増して吹きまくっている。それは言わずと知れた「情報科学(IT)」だ。

僕はこのITという風の向きと大きさを知り、その内容に深く興味を持ち始めたのが今から10年前(1997年)だった。奇しくも自身が「情報産業」に携わっていただけに。そしてそれが、自身が宿す会社や業界の将来を大きく揺さぶる恐れがあることに気づかされることとなった。

2007年となり、一般的な企業を始め、いわゆる産学官にはほとんどITがフルスペックで導入された。そして、googleを始めとするシリコンバレーのメンバーたちがITの風のスタンダードを決め始めている。数年前までは考えられない情報の量と質とを、私たちはいとも簡単に手に入れることができ、発信することもできるようになった。僕のような独り者が会社という組織を作ることができるのもITのベネフィットがあってこそだ。今っぽい戦術である。

 

「風」が持つ二面性・諸刃の剣

さて。
「風」とは諸刃の剣である。風の強さで、ものごとを一掃する効果もあれば吹き飛ばされるリスクだってある。科学技術とは本来の人間が持つ能力の限界を超える力を生み出すことが使命である。ゆえに、その「風」を誤って使うと再起不能になるほどの犠牲を受けることだってある。

歩いて転んでもなかなか死なないけど、自動車や飛行機に乗って事故に遭えば、ほぼ死ぬように…。
手紙を誰かに覗かれたっていいとこ2~3人にしか漏れないけどウイルスに感染すりゃ、個人情報は何万件と漏洩するように…。

大切なのは、そのリスクをきちんと把握し、後世にも伝え教えた上でその「風」を享受させ、よりよいものを作り出す知恵と創造力とを子どもたちに育ませるのが、大人の使命であると僕は考える。

 

「風」を正確に伝えないのは、「風」を嫌う業界ばかり

で。
ここ数年で思うのは、この「風」の動きをきちんと伝えていない業種が2つほどあるのでは?ということ。
一つは「マスコミ」。もう一つは「教育者」だ。マスコミは自身の立場や礎が揺らぐことを恐れているのが本音。同時に、既存のやり方を守りたいがために、新しい「風」を邪道と捉え受け入れようとしない風潮も見られる。

典型的な既得権益に乗った、古い構造の発想である。他方で教育者は、マスコミと同じように大切な情報発信者であるにも関わらず、その「風」を捉え、学び、他に教えるまでのリテラシーがない。今の大学生ですら、ITの知識をほとんど持たない子が増えているわけで、その理由にITという「風」を無視してきた教育の現状が浮き彫りになっている。

インターネットは、いじめを誘発する。
インターネットは、殺人を誘発する。

そんな負の部分だけが取り上げられる。負の部分を取り上げ、否定するほうが楽だからだ。
子どもからインターネットを取り上げ、知らないものとする。競争社会を否定して、全員を一位にするかけっこを演出する教員者と全く同じ論理である。自分自身がいる特殊な環境のイズムを大多数の情報受信者に伝えようとしている…、そういう点で僕はITという「風」に対する捉え方に、マスコミと教育者の共通点を感じずにいられない。

「風」すなわち、それが科学技術である以上リスクはあって当たり前。いかにどう使い、仕組みを知り、リスクを知り、どう発展させるかを考察できるようにならないと、日本は世界に遅れを取る。いや、すでに大きく出遅れている。

 

「風」の源泉を知らない人が情報の川上にいる不幸

マスコミと教育者がシリコンバレーを知らず、アジアの諸外国の頭脳と発想を知らないからだ。パソコンを扱い、携帯電話を扱い、カーナビを使うくせしてそのリテラシーを持とうとしないことにすべての原因はある。

「風は止められない」のだ。
現実から目を背けている限り、自身の発展はなく子どもたちの未来の可能性を、奪い去っているに過ぎない。今まさに過渡期。「風」が起こり、巷に情報格差が起こっているときこそ、僕らは後世に「風」が生まれたことに対応する「考える場」を作り・育て・与える必要があるのではないか?

故に大人は日々勉強である。

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