放送局裏話

ラジオは何故面白くないのか?(20)

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ついに、このシリーズを20回も書いてしまった。

適当に不満や正論をツラツラ書き続けていると、次第に反響が
ふつふつと出てくるのがインターネットの不思議であり、
書いている当の本人が想像する以上のコンテンツになってしまった
というのが、本音であります。

とりわけ最近は「検索」での訪問者が多い。

それなりにラジオそのもののこと、媒体の比較研究などで
気にされているテーマでもあるようです。

さて。
昨日から2日にわたり東京を訪問する中で、ラジオつながりの
方ともいろいろと最近の情報と意見の交換をすることができました。

この有意義な情報交換の中で、少々考えたことがありました。

「ラジオは双方向」なんつーお題目はこの10年くらいよく耳にします。
最近聞くラジオでも、以前に比べ 日替わりでテーマを設定し
それにまつわるメッセージの紹介をしているパターンが増えてます。

ただ悲しいかな、メッセージのテーマが「今日は○○の日」にちなんで…
的な、設定が多い。言ってみれば「どうでもいい」テーマである。

日々聞いていると、答えにあたるメッセージを送っているのは
所謂「常連客」といわれる、番組のヘビーリスナー(ヘビリス)だ。

彼らは「ラジオネーム」なるハンドル名で自己表現する。
テーマ設定のメッセージ読みを聞くと、耳にしたことがある
ラジオネームでの投稿が多い。

このヘビリスとのメッセージ交換を持って「双方向メディアだ」と
ラジオ局の作り手やパーソナリティが自負するところに、実は
そもそもの勘違いがあり、コンテンツの陳腐化を招いています。

なぜなのでしょうか?

それはとっても簡単な話です。
一部のヘビーリスナーが投稿を繰り返し、パーソナリティがその
投稿を読んで感想を述べ、さらにメッセージ募集を煽ると…

「サイレントマジョリティのリスナー」が形成されるからです。

つまり。
大多数のリスナーが「受け身」に成り下がるわけです。

そう、それはまるで。
2ちゃんねるを閲覧しているかのような状態。。。。

2ちゃんに、どのくらいの人が書き込みますか?
書いたことなくても、読んだことある…ってな人は多いでしょう。

2ちゃんで大体3:7といわれますが、ラジオなら1:9ってとこかな?
一度調べてみたいですね。

ヘビーリスナーは、テーマなんかなんでも良くとにかく「参加」する
ことと、自身で書いたメッセージの「露出」が目的である。

これがひどい状態になるのが、いわゆる「誕生日おめでとう!」コール
となります。本人以外に情報価値が全くない話題が公共の電波で
紹介されるわけですから。それもご丁寧にエコーをかけて叫んだり
するんですよ。

そりゃ、80年代初頭は訳が違います。
「場」がなかった。「友人みんなが聞いてる」媒体だった。
ラジオを通じ、1年に1回、誰もが均等に有名人になれる日が
めぐってくるという意味合いで「誕生日を紹介する」意味は
あったのです。

今は関係ないでしょ。誰だってどこでだって自分の誕生日を
アピールし、祝ってくれ、過剰なくらいのサービスが世に蔓延してます。

とまぁこのように。

以前はテレビと同等の「マス媒体」だったラジオだったからこそ
誕生日コールもメッセージ紹介も、かなり意味があった。

けど。
今は、「一部のせまいコミュニティ形成」をしてしまって、多数の
リスナーを「サイレントマジョリティ化」させてしまうのが、
旧態依然とした、メッセージ募集とその紹介なのです。

作り手やしゃべり手が、20年間その制作方法を工夫せず
状況の変化も考慮せぬまま同じような仕組みを続けている
弊害だと言っても過言ではないでしょう。

媒体力の魅力が大幅に減ったラジオにおいて、双方向性を
具現化するためのテーマ設定やコンセプト設定を制作者が
大真面目に考えなければ、ますます負のスパイラルは
続いていくと、僕は長年思っているのですけど…。

つまらないテーマ設定のメッセージ募集が始まると
ラジオを消してしまうのが、目下の僕の行動だったりするからね。。

ちなみに。

誕生日は「おめでとう」という叫びに意味はないけど
どんな誕生日をすごし、周りが何をしているか?
自分がどう迎えているか?という話題は
情報であり、聞き手に共感を呼びます。

その差だと思うんだよな。
つまりパーソナリティとディレクターの力量と
見識にかかっています。

メッセージを送るリスナーは宝です。
でもその宝を腐らせるから、ラジオが面白くなくなるんです。

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